21st 8月2012

OTOSHA33「サンデルの政治哲学」Day3受講記録

by JIN

おとなの社会科CS担当のJINです。
OTOSHA33「サンデルの政治哲学」Day3の受講記録を書きます。

本稿では、受講者目線で、セミナーの受講記録を書きます。なお、一部JINの私見にわたる個所が含まれる点、ご容赦ください。

7月は「サンデルの政治哲学」をテーマとして、3回、セミナーを行いました。同月は、株式会社セルム様のご厚意により、会議室をお借りして実施しました。

おとなの社会科では、今年後半から、ロジカル・ファシリテーション力を高めるためのディスカッション形式を取り入れています。実際にファシリテーター役を設けて、pacoさんの指導を絡めながら実践力を鍛えています。

今月は、「サンデルの政治哲学」を素材にして、功利主義、リバタリアニズム、カント哲学の3つの哲学思想について切り込みました。

Day3では、カント哲学に関して検討しました。

Day3のポイントは、次の3点です。
■カントは、自由尊重の理論的根拠を与えた
■カントの理論に決定的反論は未だに加えられていない
■カントに従えば、自由に関する俗説のウソを見破れる

以下、具体的に書きます。

■カントは、自由尊重の理論的根拠を与えた

カントは、自分の理性が命じる命令にのみしたがって行動する時、自由であるとして、自由を定義しました。この場合、自律的に行動するからこそ、自由には尊厳・尊重が与えられると考えました。これは、ボールなどの物や馬などの動物には為し得ない、人間のみが行う事が出来る行動です。ボールは物理現象に従っているだけですし、馬は、欲望や外にある目的に従って行動するのみです。

近代思想の中核は自由尊重ですが、カントは、そこに理論的根拠を与えました。

■カントの理論に決定的反論は未だに加えられていない

このように、近代思想の中核原理に根拠を与えた点で、カントの理論は二百数十年経った今も光彩を放っています。

カントは、また、ある行為が道徳的か否かは動機で決まるとしました。そして、動機が、欲望やその他の外にある目的ではなくて、無条件に「○○をすべきである」からと自律的に行動した場合にのみ、道徳的と言えるとしました。

ここで「○○をすべきである」と考えるのには条件があり、それは、他の誰にとっても当てはまるように考える、ということです。

ただ、カントは、自律的でない行為すなわち非道徳的な行為について、その存在は認めています。人間には、自律的・道徳的な行為も、非自律的・非道徳的な行為も、共存している。そうした中で、道徳的な行為を定義するとすれば、それは自律的な行為であるとしているに過ぎません。

こうした、人間の二面性を捉えた上での、カントの道徳論は、徹底的な反論を加えるのは困難な強固さを持っています。

■カントに従えば、自由に関する俗説のウソを見破れる

日本では、自由に関して、これを制限する考え方が、広く流布しています。

いわく、「自由には責任が伴う」「自由を野放図に認めると身勝手な人が増える」「悪人に自由は無い」等々。

しかし、自由理論を基礎付けたカントは、その何れも言っていません。カントは、理性に従った行動が自由であり、そうした自由は尊重を要すると言っているだけです。「責任を伴わない事」「野放図である事」「悪人である事」を理由にして理性に従った行動を制限するのであれば、それは、カントの主張する自由尊重主義に反する事になります。

こうした俗説への反論は、カントを踏まえておけば、簡単です。彼(彼女)も、自由尊重それ自体は認めている訳ですから、自由尊重の根拠を聞いてみれば良いです。そこでカントの論拠につなげられれば(カントの論拠を上回る根拠を提示するのは困難です)、カントの理論との矛盾を指摘すれば良いです。

(by JIN)

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