31st 10月2012

OTOSHA36「精神の明治維新」day3受講記録(by JIN)

by JIN

おとなの社会科CS担当のJINです。
OTOSHA36「精神の明治維新」day3の受講記録を書きます。

本稿では、受講者目線で、セミナーの受講記録を書きます。なお、一部JINの私見にわたる個所が含まれる点、ご容赦ください。

10月は「明治維新の精神史」をテーマとして、3回、セミナーを行いました。同月は、株式会社プロジェクトプロデュース様のご厚意により、教室をお借りして実施しました。

Day3では、神道について深めた後、議論の仕方を学びました。

Day3のポイントは、次の3点です。
■八百万の神を信仰する神道が見直されても良い
■議論においては、どこまでもイシューを意識する
■イシューから外れた議論を止めても、感情を害することは無い

以下、具体的に書きます。

■八百万の神を信仰する神道が見直されても良い

Day1の受講記録において、柳田國男は明治政府の国家神道を容認していた節がある旨、報告しました。これに対して、柳田と同時代を生きた南方熊楠という人は、恐らく、純粋に、八百万の神を信仰する日本土着の神道に愛着を持った人でした。南方は、1人で山の中に分け入って、物の怪と友人になると言った話を論文に発表するような人でした。彼は、明治政府が推進した、国家神道と土着神道の合祀に対しては、明確に反対を唱えました。

日本古来の土着の神道は、八百万の神に対する信仰ではあるのですが、必ずしもすべての物に神性を認める訳ではなく、雪男・雪女のような、ある程度ストーリー性を持ったものに神性を求める点に特徴があります。これは、古来から同じく続いて来た、アマテラスから天皇までの系譜を辿る「天皇系」の神道とは全く性格を異にするものです。

こうして、日本には、「土着系」「天皇系」の2つの神道が並立して来ました。これに対して、明治政府が推進したのは、この2系統とは異なる、靖国を頂点とする別の神道です。そして、元々、「土着系」には統一的な教義等は無かったため、「神道と言えば靖国系」というような状況となり、「土着系」は忘れられていきました。

しかしながら、今、個人の相対的な価値観は最大限に尊重しつつも、地域に絆を感じられるような何かを求められています。その絆として、「土着系」の神道が見直されても良いのではないかと考えられます。

■議論においては、どこまでもイシューを意識する

日本のビジネスパースンは、社会問題・政治・宗教等に関して議論する事を避けてしまいがちです。その背景には、こうした議論が得てして感情的対立を引き起こしてしまい、日常的な人間関係を悪化を招いてしまう事に対する恐れがあります。実は、ビジネスパースンがこうした議論を避けている状況は、国民を思うように操りたい政府にとっては非常に好都合です。

そこで、なんとか、感情論に陥らずに、冷静に議論できるスキルを身に付けたいものです。

多くの場合、感情論は、議論がイシューを脱線した所で展開されていってしまう事から起きます。議論が感情的になって来たら、今行われている議論のイシューがなんであるかを確認します。そして、元々、自分が設定したかったイシューとずれていないかどうかを確認します。

この点を確認し、イシューを意識するだけで、まずは、冷静になれます。

■イシューから外れた議論を止めても、感情を害することは無い

こうして、今、感情的に対立しているイシューを確認し、それが、元々のイシューと外れている場合は、「今は、その話はしたくない」と言って、議論を一旦、止めます。そうすれば、感情論を本筋の議論に戻すことができ、多くの場合、議論が生産的なものに変質していきます。

この「今は、その話はしたくない」というのは、相手の話を無視するのとは違います。また、相手がその話をする事を嫌っているという意思表示でもありません。

もちろん、相手にもよる所はありますが、ほとんどの場合、このように議論をコントロールする事で、相手の感情を害することなく、社会問題・政治・宗教等の話題についても、うまく議論していく事が出来ます。

(by JIN)

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