17th 11月2012

OTOSHA37「非宗教の中東史」day2の受講記録(by JIN)

by JIN

おとなの社会科CS担当のJINです。
OTOSHA37「非宗教の中東史」day2の受講記録を書きます。

本稿では、受講者目線で、セミナーの受講記録を書きます。なお、一部JINの私見にわたる個所が含まれる点、ご容赦ください。

11月は「宗教なしの中東史」をテーマとして、3回、セミナーを行っています。同月は、株式会社セルム様のご厚意により、教室をお借りして実施しています。

Day2では、中東について議論を深めました。

Day2のポイントは、次の3点です。
■中東は「宗教」「石油」を軸に整理すると理解しやすい
■中東紛争は、米英の国際戦略が原因で起こっている
■イスラエルは、アラブ人を迫害してつくられた人工国家である

以下、具体的に書きます。

■中東は「宗教」「石油」を軸に整理すると理解しやすい

中東は、狭い意味で言えば、西から、エジプト、サウジアラビア、トルコ、イスラエル、シリア、イラク、イランを中心とする地域を指します。

この地域は、まず、「宗教」に関して、2つの軸で整理できます。

1つは、宗派の軸です。具体的には、スンニ派とシーア派です。

スンニ派は、コーランの記述を重視する宗派で、イスラム教の2つの聖地を抱えるサウジアラビアを中心として、広くアラブ世界で信仰されています。これに対して、シーア派は、インダス文明に連なるペルシャ文明の流れを受けた宗派です。シーア派は、インダス川を抱えるイランを中心として信仰されており、イラク国民の多くもシーア派です。なお、イラクの指導者であったサダム・フセインは、イラクにおける少数宗派であるスンニ派の信者でした。

宗教における、もう1つの軸は、その信仰の程度に関するものです。スンニ派の聖地を抱えるサウジアラビアおよびシーア派・イスラム革命が起こったイランにおいては、戒律が割と厳しく守られています。たとえば、女性が外出する際は黒服で全身を覆わなくてはなりません。これに対して、それ以外の、エジプト、トルコ、シリア、イラク、イラン等は世俗的な政権が支配しており、それほど厳しく戒律が守れれている訳ではありません。

なお、イスラエルは、後述の通り、イスラム教が支配する中東において、唯一、ユダヤ教徒が支配する国家です。

中東を整理する時に分かりやすい、もう1つの軸が「石油」です。産油量が多いほど、国が豊かになるからです。産油量が多いのは、サウジアラビア、イラク、イランの各国です。これに対して、エジプト、トルコ、イスラエル、シリアの産油量は多くありません。

■中東紛争は、米英の国際戦略が原因で起こっている

20世紀初頭の第1次世界大戦前、中東地域はオスマン帝国の支配下にありました。オスマン帝国の下では、一定の税金を納めれば宗教には寛容でした。

もちろん、古くから、シーア派とスンニ派といった宗教の違いによる争いは存在していました。しかし、現在の深刻な宗教対立は、米英が作り出したものです。米英にとって、中東は重要な石油の供給源でした。そのため、中東地域に強大な政治権力を出現させない事が英米の利益にかなうものでした。そのためには、中東に紛争を演出するのが好都合な方法で、それに利用されたのが「宗教」です。

その分かりやすい例の1つが、サダム・フセインです。産油国・イランは、1970年代まで親米的な政権が支配していましたが、1979年のイスラム革命によって反米国家に変わりました。その勢力拡大を恐れた米国は、隣国イラクの少数宗派指導者であったフセインに軍事的援助を行います。その延長戦で起こったのがイラン・イラク戦争です。しかし、フセインが率いるイラクが、今度は強大になり、周囲に対して軍事的脅威となって来ました。そこで、米諜報筋がフセインにクウェート侵攻を耳打ちし、米国の許容を前提にしての侵攻に対して米国が反撃を仕掛けたのが湾岸戦争です。以後、米国は、イラク戦争において、みずからが作り出したモンスターであるフセインを破滅させています。

このように利用される道具として、宗教の他に、民族もあります。1つの例が、山岳民族であるクルド人です。クルド人は、元々、遊牧的な暮らしをしていたため、現在のトルコ・イラクの山岳地帯を中心として広く分布しています。しかし、欧米の植民地政策によって国境を機械的に分断されてしまったため、各国に散り散りになってしまいました。そのことが、各国における弾圧の悲劇を生んでいます。これも、敢えて1民族が居住する地域を機械的に分断する事で分裂・対立を引き起こそうとする英米の戦略によるものです。

■イスラエルは、アラブ人を迫害してつくられた人工国家である

古くローマ帝国によるエルサレム陥落以降、ユダヤ人は、広く欧州・アラブ・ロシア、そして米国の広い地域にわたって居住していました。しかし、20世紀末、ロシアを中心としてユダヤ人に対して虐殺を含む深刻な迫害が起こります。そのため、自分達が安全に暮らせる国を再興すべく、祖国エルサレムに帰ろうというシオニズム運動が活性化します。第1次大戦では、ユダヤ人が対オスマン帝国戦に参戦する事を前提に、英国が、シオニズム運動を支持するとの言質を取ります(バルフォア宣言)。ただ、英国は、同時期に、アラブに対してもオスマン帝国戦への参加による独立を保障する二枚舌外交を使ったため、実際にはシオニズム活動は成就しませんでした。

しかし、第二次世界大戦前後には、ナチスによるユダヤ人大量虐殺が行われ、シオニストは、更なる建国の必要に迫られます。そこで、パレスチナ地域に大量のユダヤ人を移住させ、英米による国連における承認を経て創設された国家がイスラエルです。現在、イスラエルにおいては、元々、パレスチナ地域に多数居住していたイスラム教徒の多くは、ヨルダン川の西岸地区およびガザ地区に強制移住させられています。これらの地区の境界線には鉄条網が張られ、人と物資の出入りが厳しく制限されています。イスラエルとしては、この地域に居住するアラブ人に対しては「生かさず殺さず」という政策を適用しています。

こうして、程度の差はあるとはいえ、イスラエルは、自分たちが受けて来た迫害を自国内のアラブ人に対して行っています。

(by JIN)

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