23rd 5月2013

OTOSHA42「格差」Day1受講記録(by JIN)

by JIN

おとなの社会科CS担当のJINです。
OTOSHA42「格差」Day1の受講記録を書きます。

今年のおとなの社会科では、「議論する力をつけること」を目標として、毎月テーマを決め、月2回のセミナー構成とします。Day1で、テーマに関するイシューを固め、そのイシューを元にFacebookで議論を深めた後、Day2を総括のセミナーとします。

5月のテーマは「格差」です。フジクラ様のご厚意により、会議室をお借りして実施しています。

Day1の具体的内容については、スタッフの天平さんが紹介していますので、そちらを参照してください。 http://otosha.com/?p=733 Day1では、リバタリアニズムを1つの切り口として紹介しました。リバタリアニズムの具体的な中身も天平さんの受講記録に委ねるとして^^、本レポートでは、リバタリアニズム、なかなかやるんだよね~と言うことを書いてみます。このイデオロギーから見ると物事がどう映るかを知っておくと、考え方に奥行きが出て来ると思うからです。

なかなかやるんだよね~、というのは、次の3つの観点からです。
■社会的自由の徹底の観点はリベラリズムと共通している
■篤志家によるセーフティネットも用意されている
■自由意思尊重を徹底して貫く哲学に裏打ちされている

以下、具体的に書きます。

■社会的自由の徹底の観点はリベラリズムと共通している

米国では、リベラリズムとリバタリアニズムが2つの大きな思想の潮流になっており、両者は、しばしば対立的に捉えられます。

しかし、私が見る所、経済的自由以外の自由の分野(ここでは仮に「社会的自由」と呼びます)においては、両者とも、徹底して自由を追求する点においては共通しています。たとえば、同性愛。両者とも、同性愛の自由を認めます。個人の嗜好に関して国家がくちばしを挟むことを許さないのです。近代民主主義の成立において最初に主張された「国家からの自由」を両者ともその源流に持っているのです。

もっとも、ちょっと脱線しますが、共和党を中心として同性愛を反対するイデオロギーもあります。しかし、それは、共和党の中のリバタリアンではなくて、保守主義者(ネオコン)です。リバタリアンは、同性愛を認めます。

話を元に戻すと、社会的自由追求の徹底という点で共通している両者の見解が分かれるのは、経済的自由です。ここでも、自由を徹底して求めるという点では両者共通しているのですが、自由の保障の仕方が違います。リベラリズムは、国家が積極的に個人の自由の保障に責任を持つべきだと考えるのに対して、リバタリアニズムは、国家介入を出来るだけ排除することが経済的自由の保障につながると考えるのです。

このように、自由を徹底して追求する点において、リベラリズムと共にリバタリアニズムも魅力的なイデオロギーと言えます。

■篤志家によるセーフティネットも用意されている

しかしながら、イギリスでの産業革命の陰に、子供等も酷使する劣悪な労働環境が生まれてしまったように、経済的自由を放置しておくと、弱肉強食がはびこり、強い者だけが常勝し、結果として個人の自由が侵害されるという事態を招来します。

こうした状況に直面し、マルクスは共産主義を考えましたし、資本主義を基本としながらもこれを修正するリベラリズムも芽生えました。国家が経済に介入し、富者から貧者へと富の再配分を行う事で、実質的な経済的自由を保障するのです。

これに対して、経済面においても国家からの自由を徹底するリバタリアンは、富の再配分は認めません。しかし、実は、極端な貧富の差がついている社会をそのまま是認する訳もありません。個人の経済的自由を徹底し、国家が余計な干渉をしなければ、富める篤志家が貧者に施しを与えることができるため、社会問題は起こらないのです。

また、リバタリアンは、警察等による最低限の秩序維持は国家によって保たれるべきと考えています。したがって、無秩序な社会状態をもって良しとする無政府主義者(アナーキー)とも異なります。安定した社会の状態は必要と考えているのです。

ちなみに、また、脱線しますが、経済的自由を徹底して資本主義を究極まで突き詰めれば、無政府主義(アナーキー)に至ります。しかし、実は、逆に、経済的自由を徹底的に抑え込んで結果の平等を貫き、共産主義に至っても、政府は無くなります。マルクスの描いた共産主義社会のユートピアにおいては、政府が存在せず、皆が働いた労働の対価に見合った富の分配を受けることができるのです。このように、反対方向に極端に向かっていった行く着く先が、実は同じ状態になってしまうので、イデオロギーの面白い所です。

■自由意思尊重を徹底して貫く哲学に裏打ちされている

さて、アナーキーとまではいかなくても、経済的自由も含め、徹底的に自由追求を図るリバタリアニズムの根源には、自由意思尊重の哲学があります。人生は、国家からも、誰からも、社会的にも経済的にも介入せずに、自分の意思でこそ切り開いていく事が出来ます。この発想は、元々、王政への反発から生まれた自由主義の原点です。近代民主主義は、そうした自由主義にこそ人間らしさが宿ると考えたのです。

これに対して、リベラリズムは、経済面においては、自分の自由意思では如何ともしがたい運命によって人生が左右されてしまう事を認めます。だから、個人では対処し切れない場面において国家の介入義務を求めるです。この点において、すべては自由意思のみを拠り所にして理想社会実現を可能と考えるリバタリアニズムと比較して、自由意思に対する信頼の度合いが低いと言えます。

リバタリアニズムは、このように、自由意思を徹底して尊重する点において、なかなか魅力的なものがあります。

(by JIN)

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