OTOSHA59「宗教学:日本人てば、本当に無宗教なの?」
おとなの社会科、スタッフの天平です。今月は「宗教学:日本人てば、本当に無宗教なの?」について学びました。受講メモを振返りながら、あれこれ思ったことを書いていきます。
「日本人は無宗教なのか?」という問いには答えるとすると、私は以下のように答えます。「日本人は無宗教ではなく独特の宗教観を持っているが、それに対して無自覚である」
では、どのような宗教観を持っているのか、一年間の大きな行事を振返ってみます。
【お正月】神様をお迎えする神道の行事。
【お盆】先祖の霊を祀る仏教の行事。
【クリスマス】イエス・キリストの誕生日を祝う、キリスト教の行事。
これを見ただけでは、あれ?やっぱり無宗教なんじゃない?と思ってしまいますよね。では「日本人の祈り」という視点で次は考えてみたいと思います。
日本人は石、木、山、鏡、剣、など、ご神体と呼ばれるものに手をあわせ、祈りをささげる。しかし、ご神体は神様が降りてくるところで、常時そこにいるわけではない。神様はそこにいないけど、ご神体の前で祈る。頭の中でも具体的な神をイメージして祈るというよりかは、神様という漠とした存在にむかって祈るような人が多いだろう。
ちなみに上記は神道の話。仏教には神様はいないが、仏像の前でも人々は同じように手をあわせて祈る。また、キリスト教の教会にいけば、キリスト教徒でなくても十字架の前で手をあわせて祈る。キリスト教徒ではない人は、そこで明確なキリスト像をイメージできない、しないが、祈ることはできる
というあたりを見てみると、日本人独自の「祈り」という宗教観が見えてくる気がする。神的な場所、モノの前では、神聖さを感じ、自分の心と向き合い、なにかを素直に思うことができる。そこには、その宗教がなんなのか、私の宗教とは異なるのか、ということは、あまり関係がない。
このように、特定の宗教を信仰する人達(特に外国人)とはまったく異なる信仰の姿が日本にはありそうだ。特に「神聖さを感じることができる」感性はとても美しい。この感性はどのように私達の心の中に育まれていくのだろうか。考えてみたいテーマが出てきたところで、今回の受講レポートはおしまいにします。